先生からのメッセージ

松井絵美先生

2008年11月11日

90歳になる祖父、三線(沖縄の弦楽器)の上手な叔母、そして漁師の叔父に会うため、国慶節を利用して母の生家がある沖縄へ行ってきました。子供のころはよく訪ねていましたが、今回は約15年ぶりとなりました。場所は那覇市の北、宜野湾(ぎのわん)市というところで、車で30分ほどでしょうか。ビーチに近く、サトウキビ畑や昔ながらの赤瓦屋根も残り、風情がありのんびりとしていて、私の一番のお気に入りの場所です。祖父らとの感動の再会は果たしたものの、目と鼻の先に広がる普天間(ふてんま)基地を近くにして、あれこれと物思いに耽ってしまいました。 第二次世界大戦の最中、沖縄では住民を巻き込んだ陸上戦が行われました。そして、多くの尊い命と文化遺産が失われました。米軍は慶良間(けらま)諸島から本島の西岸、ちょうど私の滞在していた宜野湾市付近から進攻し始めました。今ではきれいなリゾートが立ち並ぶビーチですが、当時は負傷した兵隊や巻き込まれた住民の血できっと赤く染まっていたことでしょう。エメラルドグリーンに輝いている海からは想像もつきません。やがて日本は戦争に敗北し、沖縄はアメリカの統治下になります。1972年、沖縄は祖国復帰を果たしますが、広大な軍事基地は残されることとなりました。すなわち現在の姿です。 基地は県の面積の約10%を占めています。そして、多くの問題を抱え込んでいます。私は今回の旅で、実際にある体験をしました。昼夜を問わず繰り返される飛行機の離着陸の騒音です。特に戦闘機は爆音(!)を発します。私は幾度か夜中に目を覚ましてしまい、同時に憤りを感じました。住民にとっては深刻な問題に違いありません。他にも、環境破壊や事件・事故などの問題は、私たちが普段ニュースで目にするように山積みなのです。 ただ、悪いことばかりではありません。基地関連の収入は、県民の所得を大きく左右しています。つまり、米軍基地がなくなると収入がなくなる人々がたくさんいるということです。多くの課題を抱える沖縄ですが、“米軍とお互いに信頼関係を築き、悲惨な戦争体験を風化させることなく後世に継承していく場となって、これからも繁栄していくこと”、それが私の願いです。 さて、沖縄に行ったのにはもう一つ理由がありました。ダイビングです。ジンベイザメとウミガメを見ようと張り切っていきました。残念ながら潮の影響により、ウミガメとは出会えませんでしたが、体長5メートルのジンベイザメに大遭遇しました。大きな口を開いて目の前を通り過ぎたときは、「食われる!!」と錯覚しパニックに陥りそうでしたが、ちゃっかりヒレと握手して来ちゃいました。感無量です!実際のところ、ジンベイザメはプランクトンや小エビなどを主食にし、おとなしい性格なので人間を襲うことはありません。

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